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HOUSTON ASTROS FAN PAGE |
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メジャー屈指の左腕クローザー。100マイルの速球を武器にゲームを締める。愛称は「ビリー・ザ・キッド」。
注:英文表記に慣れるため英語にて記載しております。英文文字にカーソルを当てると日本語訳が出ます。
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【13】 ビリー・ワグナー [ Billy Wagner ][ Full Name = William Edward Wagner ] |
[ 抑え投手 左投げ/左打ち/30歳 ][ メジャーデビュー95/09/13 ][ 誕生日71/07/25
][ 出身:バージニア州 ] |
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Team |
ERA |
W |
L |
SV |
G |
GS |
CG |
SHO |
IP |
H |
R |
ER |
HR |
BB |
SO |
1995 |
HOU |
0.00 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0.1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1996 |
HOU |
2.44 |
2 |
2 |
9 |
37 |
0 |
0 |
0 |
51.2 |
28 |
16 |
14 |
6 |
30 |
67 |
1997 |
HOU |
2.85 |
7 |
8 |
23 |
62 |
0 |
0 |
0 |
66.1 |
49 |
23 |
21 |
5 |
30 |
106 |
1998 |
HOU |
2.70 |
4 |
3 |
30 |
58 |
0 |
0 |
0 |
60.0 |
46 |
19 |
18 |
6 |
25 |
97 |
1999 |
HOU |
1.57 |
4 |
1 |
39 |
66 |
0 |
0 |
0 |
74.2 |
35 |
14 |
13 |
5 |
23 |
124 |
2000 |
HOU |
6.18 |
2 |
4 |
6 |
28 |
0 |
0 |
0 |
27.2 |
28 |
19 |
19 |
6 |
18 |
28 |
2001 |
HOU |
2.73 |
2 |
5 |
39 |
64 |
0 |
0 |
0 |
62.2 |
44 |
19 |
19 |
5 |
20 |
79 |
2002 |
HOU |
2.52 |
4 |
2 |
35 |
70 |
0 |
0 |
0 |
75.0 |
51 |
21 |
21 |
7 |
22 |
88 |
2003 |
HOU |
1.78 |
1 |
4 |
44 |
78 |
0 |
0 |
0 |
86.0 |
52 |
18 |
17 |
8 |
23 |
105 |
2004 |
PHI |
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【 年棒:3年契約[2002〜2004]=2700万ドル(32億円)/1年平均:900万ドル(10億7000万円) 】 |
アストロズ最高の守護神。左腕から繰り出す100マイルの速球を武器にクローザーを務める。
2000年シーズンの最後3ヶ月半を左肘を故障し戦線離脱。左肘にメスを入れ2001年、見事なカムバックを果たした。そして、2001年ワグナーは、アストロズ史上最多の39セーブを記録(セーブ失敗は2度のみ)し、自身2度目のオールスター・ゲームに出場した。2003年は、セットアッパーの安定もあり、ブラッド・リッジ
-> オクタビオ・ドテル -> ビリー・ワグナーのリレーで更に安定した成績を残しアストロズと自身の記録を更新した。
通算獲得セーブ数を225とし、球団史上1位だったデーブ・スミスの記録199を塗り替えた。
1993年のドラフト1巡目(全米12番目)にアストロズに指名されたワグナーは、マイナー・リーグでは先発投手として登板を続けていたが、96年からリリーフ投手としての才能が開花し、メジャー屈指のクローザーへと成長した。
ワグナーは元々右投げであり、今でも利き腕は右腕である。そんなワグナーが左投げに変わったのが、少年時代にフットボールをプレー中に右手を骨折するアクシデントがあり、それがきっかけと言われている。
高校までは外野手としてプレーしており、そんなワグナーの憧れの選手はリッキー・ヘンダーソン。しかし、打撃が得意でないため大学に入ってからは投手に転向した。
大学時のワグナーは、大学2年の時9イニング平均で19.1個という奪三振記録を樹立。大学のキャリアでも182回1/3を投げ、327奪三振と文句のつけようのない内容で、1993年のドラフトでアストロズから1位指名(全米12番目)を受けた。奥さんのサラさんとは、大学時代に出会っている。
入団した1993年は、1Aオーバーンで7試合に登板しただけ。翌1994年には、1Aクアドシティでフルシーズンプレーし、26試合に先発。8勝9敗の防御率3.29という成績で、204奪三振と91四球は共にリーグトップの記録。
デビューの年1995年は2Aジャクソンで開幕を迎えるが、シーズン途中に3Aツーソンへ昇格。将来のメジャー昇格は時間の問題と思われていたワグナーだけに9月半ばにメジャーへ昇格。未来の大器へメジャーの雰囲気を味わせることを目的としたもので、ヤンキース戦でわずか一人にだけ投げるためにマウンドに立ったことがワグナーのメジャーデビューであり、この年のメジャーのマウンドはこの1度のみだった。
1996年の開幕は3Aツーソンで迎えた。12試合に先発し、6勝2敗という数字を残していたワグナーの元にメジャー昇格の知らせが届いたのは6月に入ってからであった。昇格後、この時を境にクローザーへの道を歩むことになる。この年9イニング換算の奪三振率が11.7個と抜群の成績で、特に左打者との被打率が.083とほぼ完全に抑えている(ちなみに右打者の場合、被打率.165)。
この後、クローザーとして、すばらしい成績を収めていく。
三振も出すが、ランナーを出してしまう癖もありドラマを演出しそうな所があるので別名「ドラマティック・ビリー」と名付けました。
2003年オフに衝撃が走りました。アストロズはペイロール(球団総年俸)を抑えなければならないため、苦渋の選択の末ビリーをフィラデルフィア・フィリーズにトレードいたしました。交換相手は、ブランドン・ダックワース投手とマイナー2投手でした。
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